なくなるもの、なくならないもの
こんにちは、タケダです。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
わたしは夏休みを楽しみにしながら働いています。今年は温泉に行くことにしました。パソコンを置いてまったりしようと思います。ホテルでお茶を飲みながら本を読む予定です。大人になったなあ、という感じです。
さて、私はさいきん断捨離したい欲が高まっています。だいたいテストの前とか、仕事が忙しいときとかによくあらわれる現象です。ダイエット中なので、痩せたら新しい洋服を買って、今の服を整理しようと計画中です。クローゼットをひっくりかえすの、楽しいです。
日々生活していると、どんどんいろいろなものが身の回りに増えていきます。資本主義だなあ、と思います。ものだけではなくて、肩書きとか、属性とか、そんなものも気が付くとついてきます。面倒な世の中です。
たまに、自分がもっているものと、自分自身との区別がつかなくなるようなときがあります。ブランドものを持っているから、自分もそのブランドと同じくらいすごい人間なんだ、みたいな感覚といいましょうか。反対に、ボロボロの服を着ているとなんだか自分もすごくダメな人間になったような気がしたりします。
肩書きなんて特にそういう力が強いと思います。ひとりの個人としての自分がいなくなって、おでこに肩書きを書いた紙を貼り付けて歩いているみたいな感じです。
最近は、そういう感覚になっても、「あ、これはダメなやつだ」と自分でなんとなくわかるようになりました。なので、いったん落ち着いて自分と自分がもっているものとを切り分けることができるようになってきた気がします。
そういう感覚に気付けるようになったのは、一度ぜんぶなくなったことがあるからかなあ、と思います。体調を崩して、前の職場をやめたとき、「京大卒」とか「キャリア官僚」とかそういうものがすべて意味のないものになりました。日々生き延びるだけで精一杯で、ずっと同じパジャマを着ていましたし、大好きだった本も頭に入らず読めなくなりました。身の回りにあったものなんて、ないも同然の状態でした。
そのときは本当につらくて、これほんと死ぬんじゃない?なんて今考えると大げさなことを真剣に感じていて、けれど、そんなことを考えているということは生きているということでもあります。何もないけれど、生きているし、だからこそ身体のいろいろなところが痛くて辛かったりもする。
少しずつ元気になって、頭がはたらくようになって、なんにもなくなったけど生き延びちゃったなあ、と思いました。けれど、意外とそんな状態は楽しくて、身軽で、なんだかなんでもできるような気がしました。
いまもっているものは、いつかなくなるかもしれません。自分と自分がもっているものとの区別がつかなくなっているときは、「それを失ったら自分は自分でなくなってしまう」ととても不安になります。そのおかげで頑張れることもあるかもしれませんが、人間がんばれないときだってありますし、頑張っていても失ってしまうことはあります。
けれど、いろんなものがなくなっても、意外と人は生き延びてしまうみたいです。そして、いろんなものがないほうが、身軽で、自由で、新しいことができるようになったりもします。
いろんなものがあふれている世の中で、ついついそういうものに縛られてしまうことがあります。なので、たまに落ち着いて自分と自分のまわりを見渡して、自分が縛られているなと気付いたときには、それを1つずつほどいて、できるだけ身軽にしていきたいと思います。