楽しいことをする
こんにちは、タケダです。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
わたしは部屋にスタンディングデスクを導入しました。といっても、机を買い替えたわけではなく、いままで使っていた机の上に、小さな机をのっけただけです。今も立った状態でこのブログを書いています。意外と快適です。遅ればせながら流行り(?)にのってみたところです。
さて、私はできるだけ楽しいことをして生きていきたいなあ、といつも考えています。最近は、仕事とか、トレーニングとか、楽しいことが多くてとてもうれしいです。あとメンタリストDaigoさんのニコニコチャンネルにもはまっています。お風呂上がりの動画タイムの楽しさが増しました。
けれど、楽しいってなんだろう?とあらためて考えてみると、これはとてもむずかしい問題です。ぱーっと遊ぶとか、買い物するとか、そういうことの楽しさもあれば、仕事とか、トレーニングとか、しんどいけど楽しい、みたいなものもあります。
いろいろ考えていて、ふと思ったのは、「なんのためにそれをやっているのか?」というところかなあ、ということです。何か目的があったやっていることだったら、当然その目的が達成されたときにうれしさとか、楽しさとか、ポジティブな気持ちがうまれます。あるいは、目的が達成されたときのことを想像して、わくわくする、ということもあるかもしれません。
けれど、これには少し問題もあって、がんばったけれど目的が達成されなかったときにどうなるか、ということです。やっぱりそのときはなかなか楽しいとは思えないだろうなあ、と思います。むしろ悲しいとか、むなしいとか、ネガティブな気持ちになってしまうことのほうが多いです。やりきるまでの途中の道のりでも、目的が達成されたときのことを想像する人もいれば、反対に「失敗したらどうしよう」「目的が達成できなかったらどうしよう」と心配になって、途中の経過を楽しめないこともあると思います。
そう考えると、何か目的があってやること、というのは、楽しくなる可能性もあるし、そうではない可能性もあるし、というちょっとした賭けのようなものかもしれません。なので、そういう賭け事が好きだ、という人には向いているのかなあ、と思います。
わたしはどちらかというと心配性なほうなので、賭け事のようなものはあまり好きではありません。なので、「何か目的があってやる」ことよりも、「特に目的はなくて、それをやること自体がなぜかよくわからないけど楽しい」ことのほうが向いているなあ、と思います。
例えば、少し前にはじめたランニングも、以前は「なんでみんなわざわざ走ったりするんだろう」と思っていました。けれどやってみたら、確かによくわからないけど楽しいのです。別に移動するためなら、もっと早くて便利で楽な方法があります。健康のため、というような目的もあるかもしれませんが、健康のためならランニングまでしなくても、ちょっと多めに歩くぐらいで十分、という話もあります。ダイエットというのもありましたが、ダイエットにはランニングうんぬんより食事次第だなあ、と気付き、むしろいまはランニングをもっと楽しくするために身体を軽くしたいなあ、という謎の逆転現象が起きています。
もちろん、なにか目的をもってがんばる、というのも素敵なことです。けれど、そればっかりでは疲れてしまいます。目的をもってがんばることもやりながら、けれど「よくわからないけど、とにかく楽しい」という自分の感覚も大切にして、バランスよくやっていきたいなあと思います。