いろいろ考えるブログ

株式会社ベンチャーネットでいろいろ担当しているタケダがいろいろ考えるブログです。

実は漁師の孫です

こんにちは、タケダです。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
わたしはブログの更新をすっかり忘れていました。この記事もほとんど終わりまで書いていたのに、なぜかそのまま放置されていました。冒頭のこの部分にはだいたい近況を書くようにしているので、ここだけ書き換えています。もともとは筋肉痛と宇宙人の話が書いてありましたが、いま読み直したらだいぶ滑っていたのでそのまま公開しなくてよかったと思います。

さて、優しさって難しいものだと思います。優しさだと思ってやったことが、人によっては意地悪だと受け止められたりします。悲しいことです。

魚を与えることよりも魚の釣りかたを教える方が優しい、みたいな話があります。確かに、ずっと魚をあげ続けることができないなら、自分で魚が釣れるようになることを支援する方が、与えられる人にとっては得なように思えます。

魚の釣り方を教えて、教わった人が自分で釣れるようになったら、きっとその人は魚釣りを教えてくれた人に感謝するでしょうし、優しい人だと思うでしょう。けれど、すべての人が、教わった通りに魚を釣れるようになるかというと、必ずしもそうではないよなあ、と思うのです。

どうしたって不器用な人はいるし、人間なにごとも向き不向きというものがあります。世間の平均的な価値観からするとすごく簡単で、やり方さえ教われば誰でもできる、なんて言われていることであっても、すべての人にとって簡単なわけではないと思うのです。

魚釣りがどうしてもできない、という人は、魚をくれずに魚の釣り方を教えようとする人のことを、意地悪だと思うかもしれません。
なんでわけのわからないことをぐだぐだと話し続けるんだ、簡単だとか言って、できない自分をバカにしているのか、もうお腹がペコペコなのにどうして魚をくれないんだ、なんてことすら考えるかもしれません。

そんな人に対して、私の優しさをわからないなんて、バカなやつだ、と魚釣りを教えた人は怒りたくなるかもしれません。けれど、裏を返せば、相手の事情を知らずに優しさを勘違いして押し付けているだけ、と言うこともできるのです。

けっして悪意があるわけではないのですから、意地悪とまでは言えないと思います。いうなれば、配慮が足りない、というやつでしょうか。そうなると、世の中のすべての人に配慮して生きるなんて到底無理だよ、となります。その通りだと思います。

じゃあどうすればいいんだろう、と考えると、やっぱり無理はしないというか、自分のできる範囲でできることをする、ということになるのかなあと思います。みんなに優しくする必要はないし、みんなに配慮する必要はありません。

それぞれの人の中に、いろいろな優先順位があると思います。その中から、自分の手の届く範囲でやっていくしかありません。ついつい、褒めてもらいたいとか、認めてもらいたいとか、いろいろな理由で人は手の届かない範囲にまで手を伸ばそうとしてしまいます。きっと、魚釣りがどうしてもできない人に魚の釣り方を教えてしまうというのも、そういうことなんだと思います。