主役も脇役もないのがいい
こんにちは、タケダです。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
私はゴールデンウィーク後半、いきなり熱を出しました。1日お布団と仲良くして、なんとか元気になりました。
さて、おかげさまで元気になったので、昨日は姪っ子とトーマスの映画を見に行きました。トーマス、子ども向けだと思っていたら、なかなか面白いお話でした。
(続きでちょっとあらすじとか登場人物?登場機関車?とかについてお話しするので、これから映画を見にいく方はお気をつけください。ねんのため)
自分は重要な仕事を任されている、だから偉い人のお気に入りだ、と自慢する友だちの機関車だったり、
そんな友だちにもやもやして、自分だってもっとできる!と無理やり大仕事を奪いとったあげく、道に迷っちゃうトーマスだったり、
道に迷ったトーマスをバカにする貨車たちだったり、
じぶんは何もできない、ただの役立たずだ、といじけている実験用機関車だったり、
じぶんは最新のステルス機関車だと信じてるけど、全然隠れられていない機関車だったり。
学校でも会社でも、ご近所や親戚付き合いでも、いろんなところでこんな人たちがいて、こんなことが日々起きてるんだろうなあ、という物語でした。
そんな風に感心しつつ、姪っ子(5歳)に「どうだった?」と聞くと、「アニーとクララベルはまたトーマスと走れるよね!よかった!」と返ってきました。
アニー?クララベル?どのキャラクターのことだろう・・・
まさかいきなりそんな謎のキャラクターの名前が返ってくるとは思わなかったので、ちょっとびっくりしました。
家に帰ってから調べてみると、アニーとクララベル、いました。トーマスにひかれて一緒に走っている客車の女の子でした。
そういえば、トーマスが迷子になって帰れなくなっているあいだに、ちょっと乱暴な機関車にひかれることになり、「トーマス早く帰ってきて」と泣いていたのでした。
これはトーマスの映画だ、と思っていたわたしは、ついついトーマスの気持ちになって物語を見てしまっていたみたいです。主役はトーマスで、ほかのキャラクターは脇役だと思い込んでいました。
よく考えてみたら、誰が主役で誰が脇役かなんて、それぞれのキャラクターにとってみればどうでもよいことです。そとから見る人の思い込みでしかありません。けれど、「みんながそれぞれ主役なんだ!」みたいな考えは、私にはちょっと違うように感じます。みんな主役となってしまえば、ぜんぶ別々の物語ということになってしまうような気がします。それはなんかちょっと寂しい。
べつに主役とか脇役とか、そんな分担が必要ない、そういう物語の中で生きていきたい。そんな気がしています。1つの物語の中で、ひとりになったりいろんな人とかかわったりしながら、主役も脇役もなく、それぞれの思うようにいられる世界がいいな、と思いましたし、いまの自分はなんとなくそんな世界にいるように感じています。